北海道江別市に「大麻」というエリアがあります。
「たいま?...え!何その街!ヤバい街?」とザワつかれることがありますが、それはそれで覚えてもらえるのでいいのだとか。ここは「おおあさ」と読みます。旧地名である「大曲」と亜麻が栽培されていた「麻畑」から1文字づつとって、昭和11年ころに「大麻」という地名になったと言われています。
江別市は札幌の隣町。札幌に通勤する人のベッドタウンとして急速に人口を増やし、今は12万人が住む北海道では割と大きなマチになっています。江別市のなかでもさらに札幌寄りに位置するのが「大麻」というエリア。酪農学園大学、札幌学院大学、北翔大学といった大学がありますので、大学時代をこの周辺で暮らしていたという方も全国にたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
クローズアップするのはさらにマニアックな「大麻銀座商店街」という古くからある商店街の一角。世の中に「銀座」とつく場所はどのくらいあるのか数えたことはありませんが、かなり渋い商店街ということは、説明しなくても想像できることでしょう。
車が行き交うことがない歩道の両脇に、これまた渋いお店が連なる短い商店街ですが、他のどのマチにもある商店街と何かが違う。そう、人々の生活の息吹を感じるのです。過疎化や少子化の波が押し寄せて、商店街がシャッター街...。どうしようかと悩む地域も世の中に多いかと思いますが、ここは何かが違う。それを象徴するかのように、その商店街の店舗を改装したゲストハウスがありました。それが「ゲニウス・ロキが旅をした」という宿泊施設です。そんなちょっと変わった名前の宿を運営するオーナーの林 匡宏さんを訪ねてみました。
大阪から北海道へ
大麻銀座商店街
短髪で屈強な体つきの林さん。「どうも、こんなところまで来ていただいてスミマセン」と、初対面から物腰はとっても柔らかく、会話の節々から優しさが伝わります。ご出身は大阪。高校生まで大阪で生まれ育ち、筑波大学に進学を期に茨城県に移り住んだそうです。それからなぜ北海道への道がつながったのでしょうか?
「大学時代、ずっとラグビー部で、もう寝ても覚めてもラグビーのことばっかり考えているラグビーバカでした(笑)。チームの他のみんなは、生粋の体育学部でラグビー部だったんですけど、僕はなぜか芸術学部(笑)。そんなこともあって、ラグビーで就職していく仲間が周りに大勢いるなかでも、僕は大学院に進んだんですよね。で、就職活動時期になって2社ほど受けたひとつがたまたま北海道だったんですよね。ぶっちゃけあんまり考えてなくって(笑)」
なるほど、屈強な体つきにはラグビーという理由があったのですね。そして意外なほどあっさりな北海道とのご縁。とはいえ、企業名をうかがうと、業界でその名を知らない人がいないというほど大手の設計会社。設計というよりも都市そのものを開発していく根幹を中心的に担い、大手ゼネコンとともに都市開発を進める側にいるポジションの超優良企業でした。林さんは、ラグビーバカである一方で、大学で「まちづくり」を学んでいたからこその選択肢でした。こちらの会社での経験が、林さんの人生を大きく左右するできごとばかりだったようです。
渋谷区の再開発に関わって
林 匡宏さん
「北海道には、ラグビーの合宿で津別町に行ったことがあるくらいで、社会人として選んだ場所の札幌は初めて。...なんですが、入社して2年ほどの仕事は、東京都の渋谷区の開発に関わっていました。今、渋谷スクランブルスクエアとか、渋谷フクラスとか、日本の最先端の街として、巨大なタワー型高層ビルがめっちゃ建ってますよね? そう、そういったビルを建てる前に考える仕事に関わっていたんです」
それはすごい。たしかに、巨大な建築物が立つのには数年もかかるのが普通ですが、さらにその前には、その建築計画や都市計画の策定を、行政も交えて考えていかないといけないので、何年...時には十年以上にもおよぶプロジェクトになりますね。
「渋谷の計画が一段落し、その後、札幌に勤務地が移ると、札幌の事務所でも20年も前から続いている都市開発設計に関わることになりました」
さらっとまた説明されますが、もう大きな話すぎて何が何やら...。もうちょっとかいつまんで説明してもらいます。
「東京は割と民間の力が強くて、北海道は行政メインでの動きが中心という地域によって違いはありますけど、基本は『どういう街にしていきたいのか』というところを突き詰めていくのが僕の仕事ですね。施主、地権者はもちろん、行政の都市計画もあり、そこには利用する地域の人々がいます。そのそれぞれの立場の意見を集約して、ビジョンとして見える形にし、みなさんとディスカッションしていくっていう感じですかね」
なるほど。一般住宅のように、自分が好きなように建てることとは次元が違うからこそのお仕事ですね。でも「再開発」「調整役」という言葉は、利権のぶつかり合いで、その間に入る人はなんだかとっても大変そうなイメージ。そんなことはなかったのでしょうか?
「いえいえ、めっちゃ楽しかったですよ!確かに、町並みそのものを変えてしまう構造物に関わることが多いので、法制度を活用して前に進めないといけないことや、時には意見が対立することだってあります。でも僕の場合は、相手がどんな立場の方であれ、フェイストゥフェイスで話をすることを心がけてきたので、人と会って話し込むことそのものが楽しいんですよね。その『対話』がないと、土地とお金の話だけになっちゃって、誰を幸せにする計画なのかわかんなくなっちゃうんです。まぁ、世の中では『あるある話』でもあるんですけどね(汗)。コンサルなんて言うとかっこいい感じしますけど、基本はとことん話すことなんですよね」
林さんが説明してくださると、途端に難しい仕事がシンプルな仕事に聞こえてくるので不思議です。そして「対話するため」にそれを可視化するとっておきの武器を林さんは身につけていました。
話し合いを可視化するドローイング
「僕の場合は『ビジョンをドローイングするんです』」といって、見せていただいたのは、黒板にチョークで書かれた絵。
「よくその話し合いの場で行うんですが、ワークショップを建て付けとしていろんな人と話すなかで、その場でビジョンを共有していくため、即興でこんな感じのイラストを書いていくんです。そしてこのイラストをまたみんなで眺めながら話を共有していくっていう感じで物事をすすめています」
他にもいろんな人々が話しているなかで産まれる『ビジョン』を見せていただきましたが、もはや作品という感じ。これまではワークショップや会議形式であれば、テキストで情報が残るのがスタンダードだと思っていましたが、これは驚愕なお話でした。
30歳。大学生になる。
そんな林さんですが、現在はゲストハウスを運営している通り、違う人生を歩み出しています。大手企業で順風満帆のように見えていたのに、なぜだったのでしょうか。
「僕が関わってきた案件は、とにかくスケールが大きすぎて、大きすぎてわかんなくなることがあるんですよね。しっかり話し合って、ビジョンも共有できたのに、完成は10年後...みたいな。 結局は受託と委託みたいな関係なんだもんなぁ...なんて心の迷いを抱くこともあって。それで大学に再び通い始めたんですよね」
えっ!大学?と驚かされます。30歳のころ、働きながら札幌市立大学大学院に入学し、34歳のときに博士号(デザイン学)を取得されたそうです。これは普通の人ではない、とんでもない考え方ですね。
「研究するってことを理由にして、働きながら大学に通っていました。そんななかで出会ったのが『江別市』だったんです。江別駅のほうで、古民家を使ったプロジェクトやマルシェ、ミズベリング・プロジェクト(注1)を行ってみたりするなかで、江別の魅力に取り憑かれてったんですよね」
※注1...ミズベリング・プロジェクトとは、国土交通省が実施する、賑わいと活力のある水辺の創出を目指す事業。
江別市を流れる千歳川の川辺にて。ミズベリング・プロジェクトの活動の様子です。
そんな「まちおこし」を人と人の交流を増やしながら活動していった林さんですが、ふと疑問に思ったそうです。
「これってイベント屋だなって思ったんです。イベントが終わったらまたもとの日常に戻っちゃう。そして、江別で活動していても、『札幌の人だもんね?』って言われて、応援はしてくれるけど、信頼はしてくれていないって考えるようになって。...考えすぎだったのかもしれないですけど(笑)。それで、リスクと責任を背負って街に関わりたい!って思うようになったんです。それを証明するために『不動産だ!』って思ったんですよね。安易ですよね(笑)。物販事業とか飲食事業とかも考えましたけど、宿であれば布団があればなんとかなるかもって思ったのも、ゲストハウスをやろうと思った動機のひとつでした」
なんとも林さんらしいというか、自分に正直というか、ゲストハウスに至った経緯は、林さんの個性そのものにも感じます。
「ゲストハウスをつくるのにも、最初から『人と人の交流』に重きを置いていて、交流できるスペースをつくるのは絶対条件...できれば、交流スペースが1Fにあって、2Fに宿ができることっていう縛りで考えていました、この江別市で」
林さんのお話の通り、簡単に出入りできる賃貸ではなく、「物件を買う」ということにこだわり、かつ人との交流ができる場所とスペースがあることを条件に探したそうですが、これが全然見つからかなったのだそうです。
ついに物件が見つかる。
「空いているようで空いていない、条件が合わないなど、なかなか見つからなくって。そして『ゲストハウス』という業態もなかなか理解を得られないって感じでした。そこをサポートしていただいたのが大麻銀座商店街のみなさん。未来会議という会にも参加させていただき、僕が実現したいことを説明させてもらうなかで、どんどん応援していただけるようになりました。そんな折、『ある商店街のお店が閉めることになったらしい』という情報をキャッチ。いろんなみなさんの取り計らいもいただいて、ようやく場所が決まりました。もともとは洋品店だったんですよ」
商店街を形成するお店のひとつとしてできたゲストハウス「ゲニウス・ロキが旅をした」
林さんが地域のみなさんに説明されていたのは、宿名にある「ゲニウス・ロキ」とつけた想いそのものでした。ゲニウス・ロキとは、事物に付随する守護の霊という意味の「ゲニウス」と、場所・土地という意味の「ロキ」の2つのラテン語をもととし、場所を表すために用いられた概念だそう。建築業界における用語だそうです。
「宿屋をやりたいんじゃない。地域を表現する場所をつくりたい。場所の力を引き出していきたい。ここにコミュニケーションのカオスをつくっていきたい」と林さんは説明していたそうです。
新卒入社した会社を退職。そしてリモート公務員。
1Fのイベントスペース。ほとんどがDIYでリノベーションされてできました。
取材時、37歳の林さん。そんなことがあり、設計事務所を退職したのは35歳のときでした。不安や迷いはなかったのでしょうか?
「会社には1年くらい前から相談していましたし、退職直前にあった新規事業コンペで僕が提出した、川とか道路を使って事業を推進していくプロジェクトを採用いただき、個人でやっていた江別の取り組みを評価してもらったりもしまして、退職したからといってつながりが切れているわけではないんです。それよりも、3人目の子どもが産まれる直前でしたので、奥さんをビックリさせたと思います...。北海道で就職だーってときも、親とかに相談もなく、『え?ほんとに?』って感じで言われてまして、昔からやってみたいことがあったら飛び込んじゃうタイプなんですよね。真面目な話では、ゲストハウスで稼ぐということはあまり考えていなくて、これまでの経験を糧に、いろんな街のプロジェクトに呼ばれるようになれば、なんとかやっていけるかな~って(笑)。木材の会社にも籍を置いていますし、今は渋谷区の公務員でもあるし......」
ん?今、なんと...?渋谷区の公務員?
「そうなんです、リモート公務員っていうんですかね、月11日間ほどの勤務で仕事をしています。もともと関わっていた渋谷区の仕事では大きな開発は終わったんですが、今はもっと細かな場所でもったいない場所に価値をつけるような取り組みや、パブリックな空間に魅力をつけるための企画などをしています。完全な行政職員という立場の方では対応できないような部分をサポートしているっていうのが僕のいる意味ですかね。渋谷の地域未来を考える専属の人って感じで、渋谷区でもテストケースのようですよ。でもやっているのは、大規模な開発のときと一緒で、とにかくいろんな方々と話しています」
そんな働き方があるなんて! 林さんもすごいですが、渋谷区もすごいですね。北海道ではなかなかこんな考えに至らないので、行政のみなさんには参考にしていただきたいところです。
ここまでお話を読まれていた方には、「林さんに直接お会いして話を聞いてみたい!」「相談してみたい!」となった方も多いはず。「そうだ、ゲストハウスに泊まればお会いできる!」...となりそうですが、ここは要注意。
2階にあがると、宿泊ができる寝室が並びます。
「『ゲニウス・ロキが旅をする』は、7人の経営に関わるメンバーで運営していまして、必ず僕がいるとは限らないので、そこはご注意いただけたら...と思います。でも関わっているみんな、めちゃくちゃ面白いメンバーなので、全員に会えるまで来てほしいかなって(笑)。たとえば、フリーランスで活動するサウンドデザイナーだったり、酪農学園大学を在学中からピンク色のキッチンカーを使って活動する子だったり、『堀さん』という江別の方であれば結構知っておられる熱血感のある元議員さんだったり...。ぜひみんなに会って欲しいですね」
グランドオープン直前にコロナの影響で断念。でも...
ゲストハウスも林さんの活動のひとつとなりましたが、いろんなことをやっているため、今は事務所的な拠点はなく、「デスクワークは電車の中でしてます」と笑う林さん。にこやかな林さんですが、この取材をした日もコロナウイルスによる影響を受けていました。
手作り感の心地よさと、古くからある建物の懐かしさがハーモニーを奏でます。
「2019年4月から工事をはじめました。2人部屋と3人部屋がひとつづつであとはドミトリーの11ベッドができました。1階は予定通り、多くの方がこられるイベントスペースに。DIYを中心に、スポットで大工さんを入れたりして、カタチができてきて、7月にプレオープンをし、ようやくグランドオープン!という時にこのコロナの状況になってしまいまして、まだグランドオープンできていません(2020年5月時)。でも逆に僕はめちゃくちゃ忙しくなってるんです。僕の周りはみんな危機感があるのか、ここで止まっちゃだめだ。十分に注意していくけど、攻め続けていかなきゃって感じですね。プロジェクトでアウトプットするものが、イベントとか人が集まるものが厳しかったら、そうじゃないやり方もあると思うんですよね。例えば、普段、地域のみなさんがお散歩するコースに音楽を流してみるだけとか、そんな簡単なことだって取り組みだし前に進めてるって思うんです。あきらめないし、楽しんでやっていきたいですよね」
MIZBERING EBETSU 2020のイメージ画像
常にできることを探し、多くの人々とのつながりもある林さんは、この取材のあと、同じく大麻エリアにシェアハウス「リバ邸」を仲間と共にオープン、さらに旭川と江別で、複数の仲間と「ドライブインシアター」のプロジェクトを成功させました。あきらめない、楽しんでいくというのを、本当に体現していることを伺えます。
コロナの影響下で産まれた、古くて新しいドライブインシアターの取り組み「あしたのしあたあ」
ゲストハウスと商店街の未来
最後に、林さんの今後についてを聞いてみました。
「今、ここの大麻銀座商店街は、新旧の人々が入り混じっててすっごく面白いエリアになってきてるんです。僕は第3世代って呼ばれてます。CCRC(ご高齢の方が地域社会に移り住み、健康で生涯住み続けられる概念)のモデルを大麻エリア全体に広げていく構想も市からでていて、そのコーディネーターとしての役割も担っています。商店街を核に、近くの団地も巻き込んで、学生を含めた若い人たちとお年寄りの方の交流がもっと増えていくと思います。そしてゲストハウスは外からの人々を受け入れる場所として、そしてコミュニティを形成させるために機能させることで、より面白くなっていくと思います!でもこれまで培ってきた経験からわかるんですが、『まちづくり』って本来とっても地味なのです。一人ひとりとお話ししながら地道にやっていけたらなと思っています。『ゲニウス・ロキが旅をした』に、いろんな方が遊びにきてくれたら嬉しいですね」
2020年7月、ついに予約を再開するそうです。コロナの影響が長引く中、宿泊業や観光業のみなさんにとっては、暗い気持ちになりがちですが、林さんのように、点と点をつないでドローイングしていく行動があれば、こんな世の中であっても、きっと新しい楽しい何かを見つけられる気がしました。また、商店街にゲストハウスという考え方は、商店街の再活性化を目指す日本中のモデルケースになる予感がとても感じらます。今後も林さんの活動にはぜひ注目ください。
- ゲニウス・ロキが旅をした
- 住所
北海道江別市大麻東町13-32(大麻銀座商店街内)
- 電話
090-6966-9606
- URL
"コミュニケーション" - Google ニュース
June 29, 2020 at 07:30AM
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